陰翳礼讃
私は、京都や奈良の寺院に行って、昔風の、うすぐらい、そうしてしかも掃除の行き届いた厠へ案内される毎に、つくづく日本建築の有難みを感じる。茶の間もいいにはいいけれども、日本の厠は実に精神が安まるように出来ている。(中略)そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。
谷崎潤一郎『陰翳礼讃』の一節です。
学生の時に読んだ本を久しぶりに読んでみました。灯りのことや障子、トイレ(厠)や建物の佇まいなど、建築のことについても多く書かれています。裏表紙には「西洋との本質的な相違に目を配り、かげや隈の内に日本的な美の本質を見る」とあります。
(水洗トイレもいいけども)自分の体からでたものが落ち着く先は、清浄と不浄のけじめは朦朧とぼかして置いた方がよい という内容のところや、「羊羹を食べる時、あたかも室内の暗闇が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う」というところがとても記憶には残っていますが、
個人的には、夏の田舎の座敷が深いの軒・縁側の影響で明るい屋外に比べて薄暗く、それが心地よかったり、真っ白な壁ではない左官の壁の色・しっとりとした質感に落ち着く感覚は、この本に書いてある感覚に近いのかなと思っています。
祖父母の家のトイレは、寝室からは子供からするととても長い真っ暗な廊下の先にあり、それが小さいころはとても怖かったものですが、大きくなってからは、虫の鳴き声を聞きながら、最近では見ることが少なくなった闇の中行くトイレがむしろ心地よくなってきました。ですので、最近子供が夜中のトイレを怖い~と言うようになっても、真っ暗闇を怖がるようになったのも一つの成長と喜んでいます
暗闇があるから、いろいろ想像する。明るいところあり暗いところがあるから心地よい。
照明においても、壁付けのライトや低く落としたペンダントライトは、部屋全体を照らすものでなく、必要なところを必要な分だけ照らします。明るいところと暗いところがある、心地よさがあります。
Koumoto