父の日に寄せて -おやじの話ー ⑧

前回までの話

―志願―https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー/

―大和乗艦―https://www.pal-ds.net/父の日に寄せてーおやじの話ー /

―大和艦内での生活―https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

―レイテ沖海戦―https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

―大和最後の出航― https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

―沈みゆく大和―前編https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

―沈みゆく大和―後編https://www.pal-ds.net/父の日に寄せて -おやじの話ー /

 

―生還― 前編

 

私は海中に飛び込むと同時に、大きな渦に飲み込まれてしまった。

 

いくらもがいても、あがいても身体は真っ暗な海中深くへと吸い込まれてゆく。

 

「ああ、もうだめだ、わが命ももはやこれまで」と観念する。

 

すると不思議なことに苦しくもなければ、恐怖心も消え去った。

ただ安らかに神の御許に行けるのだと思った。

 

両手を合わせ目を閉じると、まぶたに優しい母の顔が浮かぶ。

 

 

「お母さん、さようなら。先立つ不孝をお許しください。」と心で念ずる。

 

 

やがて、懐かしい故郷の景色が浮かぶ。幼い頃、兄達と遊んだ円山川とその川に架かる橋。これまでの人生が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

 

こんなにも安らかな気持ちで死への旅路を歩めるとは、今まで想像もしなかった。

 

静かな静かな時の流れを感じる。

 

と、その時、オレンジ色の光が突然現れ、気が付くと重油だらけの海面に顔が浮かび上がっていた。

 

私は驚き、一瞬放心状態となる。

はっと気付き空を見上げると、空が赤黒く燃えたような色をしている。

海面には色々なものが浮かんでいる。

頭上を黒い大きなものが飛んで行った。私は爆弾かと思い咄嗟に海中に潜る。

 

 

この時、大和はまだ浮かんでいるものとばかり思っていたが、私が海中に沈んでいる間に前後部の弾火薬庫が周囲の熱気に誘発されて二度にわたり爆発し、ついに大和は沈没してしまったのだ。

私が見たオレンジ色の光はこの時のものだった。

 

 

 

艦が爆発したことで海中の渦が解けたのか、私は奇跡的に海面に浮上したらしい。

 

先に海に飛び込んで艦から離れ、渦に巻き込まれることなく海面を泳いでいた戦友の中には、爆風で死亡、負傷した者も多くいた。

 

海面に出た時に私が爆弾だと錯覚した大きな黒い塊は艦の破片だったのだ。

同じ班の通信兵はその破片で両足を切断するという重傷を負った。

このことを、私は後に救助された駆逐艦のトイレに、彼が気絶したまま放置されているのを見て知った。

 

運よく海面に浮かんでいる者も、ひとり、またひとりと力尽きて海に沈んで行く。

 

 

まだ若い兵士たちは皆、最後の瞬間に「お母さ~ん」と泣きながら叫んで行った。

 

 

海面に浮きあがった私は「ああ、助かったのだ」と重油にまみれながら必死で泳いだ。

 

渦に巻き込まれなければ爆風でやられ、艦が爆発しなければ渦とともに海中深くに沈んでいったであろう。

これらの偶然が良い方に重なって、まさに九死に一生を得たのだ。

 

ところがいくら必死に泳いでも、戦闘服、脚絆、革靴という格好のまま海に飛び込んだので、身体が重くて浮かんでいるのもやっとという状態だった。

急いで靴だけを脱ぎ捨てる。

四月の海は肌を刺すように冷たい。

これから先何時間こうしていることになるかわからない中で、軍服を脱ぐことを躊躇した。

 

すると十メートルほど先に丸太につかまっている同年兵の姿があった。

「お~い、こっちへ来い」と呼んでいる。

 

そちらに向かって泳ごうとすると、海中から誰かが足を引っ張る。

ともすれば一緒に溺れてしまいそうになる。

 

助けてやりたいが、今は自分自身のことで精いっぱいだ。

 

それらを振り払い、やっとの思いで丸太までたどり着いた。

 

一息ついて周囲を見渡すと、前方七~八十メートル先に四メートル四方ほどの筏が浮いているのが見えた。

あれなら十人以上は乗れるだろうと思い、同年兵と一緒に丸太を抱えたまま励ましあって筏まで泳いだ。

そして周囲に浮かぶ人たちを「こっちだ」と大声で呼んだ。

 

たちまち十二、三人の人達が集まって来た。

他にもいないかと周囲を見渡すが、海面にある人影はまばらにしかない。

 

 

艦には三千人以上乗っていたというのに・・・

 

 

その後、米軍機による機銃掃射をあびて亡くなる者、冷たい海に体温を奪われて力尽き、沈んで行く者もいた。

 

むなしさと恐ろしさとが胸を締め付ける。

 

皆で筏につかまり海を漂い始めた。

 

見渡す限りの水平線。

島影一つ見えない。

 

と、一人の士官が「このままでは気分が滅入ってしまう。皆、軍歌を歌え!」と号令し、自ら歌いだした。

 

それに勇気づけられて皆大声を張り上げて歌い始めた。しかし二〇分もすればまたみな黙り込んでしまう。

 

誰一人として声を出すものもいなくなってしまった。

 

不安と恐怖とに押しつぶされそうになりながら、また、重油を飲んでしまったことによる苦しさとで生きた心地がしない。

 

そんな中、部下が苦しみだした。それを皆で励ましながら漂い続けた。

 

 

 

何時間経過したことか、突然遥か彼方の水平線に小さな黒いものが、一つ二つと見え始め、どんどん大きくなっていった。

 

それを皆目を凝らして見つめる。

近付くに従って煙が見え始める。誰かが「あ、船だ!船だ!」と叫ぶが、敵か味方かわからない。

 

もしも敵艦であったなら、捕虜になるよりは舌を噛み切って死のう、と誓い合った。

 

不名誉な屈辱を受けるよりは死を選びたかった。

 

味方であってくれと必死の思いで祈った。

 

艦はだんだん近づいてくる。

 

「あっ見えた。軍艦旗が見えるぞ。」

 

それはわが軍の軍艦旗であった。

歓喜の声が上がった。共に沖縄を目指して出撃した駆逐艦の「冬月」と「雪風」だった。救助に来てくれたのだ。

艦橋より、「シバラクマテ、スグキュウジョニイク」と手旗信号が送られて来るのが見えた時の嬉しかったこと。

 

この時の喜びは筆舌に表せないほどであった。

 

→生還 後編へとつづく

 

M.